※写真をクリックいただくと三越の歴史概要をご覧頂けます。

三越の始まりは、1673年(延宝元年)に三井高利が江戸本町一丁目に創業した呉服店「越後屋」です。「店前現銀掛値無し(正札販売)」「小裂何程にても売ります(反物の切り売り)」といったお客さま本位に徹した商売は革新的なものでした。
1904年、三越呉服店は「デパートメントストア宣言」を行ない、日本初の百貨店となりました。初代専務日比翁助は「単に営利だけの観念で経営をすべきではない。何らかの形において国家社会に貢献するところがなくてはならない」と説き、これが三越の企業理念の礎となっています。1905年、有識者や文芸家を集め「流行研究会(流行会)」を結成し、研究の結果を商品開発や催物に取り入れたほか、児童教育の発展を願い「児童博覧会」を開催するなど社会貢献を行なってきました。その後も美術部や三越劇場の開設を通じて若手の作家や役者に活躍の場を提供するなど、芸術・文化の振興を支援してきました。
1673年8月 三井高利が江戸本町1丁目に「越後屋」を開業 「現銀掛け値なし」を掲げる
現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現。当時、呉服屋の商品には値段を符牒でつけ、お客さまによって値段を上げ下げするのが慣習でした。これを「正札付き現銀掛値なし」という商法で、正札をつけて現銀売りをとなえ、安心して安い値段の商品を買えるという商売のやり方は世界商業史上からみても特筆にあたるものでした。これにより、当時富裕層だけのものであった呉服も、ひろく一般市民に普及しました。
1900年10月 「座売り」を全廃
「帳場座売り」という長い間の習慣をやめ、外国式の陳列販売法を採用。これまでの商売はお客さまの注文に応じて土蔵中の商品を小僧に運ばせて選んでいただくという非効率的な販売でしたが、土蔵造りの2階大広間を全部打ち抜いて陳列場としました。続いて明治33年(1900)10月、階下の座売場も全廃して、新設のガラス張りのショーケースに商品を陳列して売る、陳列販売方式を採用。お客さまは購買予定の有無にかかわらず、随意に商品を見て回ることができるようになりました。
1904年12月6日 「デパートメントストア宣言」
1914年 日本初のエスカレーターを設置
三越呉服店の初代専務として日比翁助が就任。日比は「デパートメントストア宣言」を標榜し、国内に百貨店の範を求められなかった時代に次々と新機軸を打ち出しました。1914年9月15日に完成した日本橋本店ルネッサンス式新館は「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれました。商品は呉服を中心に百貨全般にわたって取りそろえ、日本初のエスカレーターやエレベーターも設置。暖房設備やスプリンクラーの完備、また屋上庭園、茶室、音楽堂など、近代百貨店としての形態を完成させました。
1927年 日本橋本店に三越ホール(現三越劇場)を開設 日本初のファッションショー開催
世界初の「百貨店の中にある劇場」として「三越ホール」が日本橋三越本店6階にオープン。日本初のファッションショーが開催されました。これは、一般から募集した着物図案の入選作を意匠部が仕立て、1等入選作を水谷八重子、2等を東日出子、3等を小林延子が着用、「浅妻」「道成寺」「蓬莱」などの舞踊としてみせたものです。なお、このショーでは、日本で初めて「ファッションショウ」という言葉が使用されています。見る楽しみとともに流行の情報源として好評を博しました。
2004年10月11日 新・日本橋三越本店オープン
三越は、株式会社設立から100年を迎えるこの年、日本橋三越新館を完成させ、本館と併せて「新・日本橋三越本店」としてグランドオープンを行いました。 「新・日本橋三越本店」は「次世代ライフスタイル」を念頭に、従来より三越本店を御愛顧頂いておりますお客さまのみならず、新しい都市生活スタイルを求める幅広い世代のお客様のニーズにお応えするフルライン型フロアで構成され、 21世紀の日本橋に相応しい、新しいランドマークとなりました。
2010年9月11日 新・銀座三越 増床オープン
銀座に店を構えて80年になるこの年、三越は売場面積を従来の1.5倍に増床いたしました。銀座地区で最大の商業施設として「新・銀座三越」をオープン。各階に「銀座スタイル」という自主編集売場を配したことも、この大型改装の大きな特徴です。また9階には屋内外3,000㎡の「銀座テラス」を設置。芝生広場「テラスガーデン」や託児所、銀座インフォメーションなど、銀座来街者が店舗に立ち寄っていただくための施設も充実させました。
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